ラーメンの起源を求めて

はじめに



みなさんラーメンは好きですか?

僕は、大好きです。

とつぜんですが、僕は人生におけるある時点まで、世の中の重要だと思われるあらゆる問題について可能な限り関心をもって生きてきました。 無関心こそがもっとも残酷である、というどこかの誰かのセリフをなんどもなんどもしたり顔で反芻し、世界が少しでも良くなるように願ってきました。
たとえそれがはるか地球の裏側でおこなわれている理不尽や不正義であったとしても、僕はきちんと批判の声を上げてきたつもりです。

ですが何年か前からそれをやめることにしました。

特に理由はありません。なんだかもう、バカらしく思えてきたのです。

あきらめちゃいけない、だれだって心が弱くなる時期なんてあるさ、いいんだ、少しでいいんだよ。君のほんの少しの心がけだけで、世の中の無関心や理不尽が消えるんだ。たとえそれが君にはわからないくらい小さなものだっだとしてもね。だから、成果なんて気にしなくていい。もうちょっとだけ、そう、もう少しだけ、がんばってみようじゃないか?

という声が聞こえてきそうです。だが、冷静に自己分析をしてみると、べつに自分が世の中に何ら影響を与えていない、ということなどが原因で無関心の側に行こうというのではないのです。
自分の心と正直にお話しをしてみると、じつのところ世の中で重要だと騒がれている問題のそのほとんどにまったくもって、これっぽっちも、一切の興味がないのだとわかったのです。

ですがそれを認めるにはいくつかの障害がある。

まず、それでは自分が、世の中の理不尽に対して関心さえ持とうとしない、いや、それどころか感じる心さえ持ち合わせていないクズだということになるのではないか?という自責の念に近いような感情です。

だが、まぁ。

それについてはもう「そうだ」という答えしかありません。残念ではありますが、まぁそういうことになるでしょう。
けれどもそれは自分と話し合った結果なので、しかたがない。それにこの線を一度こえてしまうと、なんだかとてもすがすがしい気分にさえなります。

さて、それでは僕のよって立つしるべはいったい何になるのでしょう?30にもなってなに気持ちの悪いことを!とも思いますがこれは無視することのできない重要なテーマです。
どうもいまのいままで寄りかかってきた道徳はもはやなんの役にも立ちそうにない。ではどうしよう。

社会的に価値のあるとされる一切のことに興味がないのなら、むしろ、社会的に全く評価されないくだらないことに全力をかけてみようじゃないか、と思ったのです。
世界征服を考える会、とか近所の路地をすべて歩きつくす会だとか、そんなのがいいですね。

そこでふと頭をよぎったのが、じつにラーメンだったわけです。

ラーメン。うん、なるほど。まぁ苦手という人もいないでしょうが、僕も好きです。これにしよう。

というわけで、世界中を旅してラーメンを食べ、その起源をたどることにしました。
アラサーにもなってちょっとだけグレはじめた男の、気持ち悪い旅ログですが……まぁ生温かい目で見守っていただければ、うれしいです。

ラーメンの起源を求めて:中国編
ラーメンの起源を求めて:熱風大陸編

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